代表者プロフィール

従業員1000名を超える繊維製品製造会社の経営者の息子として生まれ、何不自由することも無く育ち、大学卒業後、父親と同じ職業を嫌い保険会社に就職。

昔ながらの慣習に拘る大企業の硬直性に問題があると感じ、23歳で独立し代理店ビジネスを始め他の営業マンとは一線を隔した営業手法で業績を伸ばす。

26歳の時、親族の裏切りから父親の会社が倒産の危機に陥ったため、従業員の職の確保のため残った事業を同業他社に譲渡契約を成功させると共に、債務整理の責任者として10年の歳月をかけ倒産させること無く処理する。

この間、人の心の急激な変化に衝撃を受けどん底を味わうも、どのようにすれば他人に頼ることなく企業を守り伸ばすことが出来るのかを研究し独自の「志マーケティング理論」を完成させる。

現在は、金融コンサルティングをはじめ、中小企業の経営に関する相談に応じコンサルティングした会社は600社を超える。

 

代表者略歴

1959年 大阪府堺市出身
1982年 近畿大学卒業後、損害保険会社入社
1983年 損害保険代理店として独立
1987年 父親の経営する会社へ債権回収、債務整理、事業譲渡の責任者として入社
  同年繊維製品製造事業の譲渡に成功
1993年 父親の会社を倒産させることなく債務整理を完了
1996年 11件の裁判を経て債権回収に成功し父親の会社の整理完了
1997年 保険代理店事業を法人化
1998年 法律改正に伴い、乗合代理店事業展開
2005年 法律改正に伴い、別法人を設立し証券仲介業を開業
2011年 事業譲渡などの経営コンサルティング業務を開始
2013年 M&A仲介業務を開始
2015年 不動産再生業務を開始
  スクール事業会社設立
2017年 保険代理店事業を譲渡し、M&A仲介業務、経営コンサルを専業として開始
2018年 スクール事業会社譲渡
2023年 不動産再生させた賃貸住宅10棟
 
 

会社員時代

大学卒業後、大正海上火災保険という三井グループの損害保険会社へ商品開発を希望して就職。
堺支店の営業として配属され営業の現場へ出て仕事を体得。
代理店という制度があることを知り、1年が経過する頃には仕事の流れを把握し、23歳で代理店として独立。
 

代理店時代

お願をして回る営業には限界があると感じ、仕組み営業を模索。
銀行が融資した際に質権設定する火災保険に目を付け、銀行とのタイアップを提案し、20行の支店を回るうち、理解を示す銀行とタイアップ事業をスタートし、業績を上げる。
 

父親の会社の処理

父親は戦後の物の無い時代に、繊維製品製造の事業を開始し昭和40年代初頭の最盛期には大阪に3工場、宮崎、熊本にそれぞれ2工場、計7工場、ボウリング場2カ所など、従業員も1000名を超える規模の企業となっていました。
昭和45年の繊維ショックや、オイルショックを経て昭和50年代後半には大幅な縮小により事業転換が必要な状況となっていました。
今後、高齢者が増え老人ホームが必要になるだろうとの予測から、工場跡地に有料老人ホーム建設計画を実行に移すため、借り入れを起こし会社の現金が最大となった時に事件は起こりました。
会社内部者による横領事件により会社は、事業は黒字で回っているにも関わらず、日々の支払いがショートする事となり窮地に追い込まれる事となりました。
 

債務整理、債権回収責任者時代

①事業の譲渡
今回の事件により体調を悪化させた父に代わり、代理店業務を続けながら父の会社へ問題処理の為責任者として就任。
黒字事業の緊急避難的な事業譲渡と債権者対策が喫緊の課題となりました。当時、M&Aという概念などない中、黒字の事業なら受け継ぎを希望する企業もあるはずとの思いで同業者や関連業者を回り譲受希望企業を確保。従業員の職の確保と今まで続けてきた事業を消失させることなく生かすことが出来ました。
※この時に手探りで実行した事業譲渡が、現在私が行っている
M&A仲介業務の礎となっています。

②債務整理
同時に、債権者からの追及もあり譲渡で得たお金で当面の対応をしながら、金融機関との交渉を重ねました。
一般の債権者は話し合いで解決出来ましたが、金融機関は応じてもらえず訴訟となりました。都銀2行、地銀1行、相互銀行1行で計4件の債務確定の裁判があり、その後回収の時点で4件の訴訟がありました。大小の金融機関があり、判決の出る順番でも後の結果が変わるのではないかと考え一定の流れをつかんだので、小さい金融機関から判決が出るよう日程調整を行いました。
当時は大蔵省の時代ですので、今とは違っているかと思いますが、小さい金融機関から交渉を行い債務整理に成功。その後同じ手順で大手行も処理し父親の会社を倒産させることなく処理を完了しました。

③債権回収
一方で、横領の当事者に対し債権回収の交渉を重ね不調になることが確定した時点で、法的手続きを取ることを決断。
刑事責任を追及することも出来ましたが、父の希望により民事事件として訴訟対応することとしました。
横領の当事者は、その資産をすべて妻名義とし訴訟で負けたとしても求償出来ない状態にしていました。
そこで調査を重ね、隠し資産を発見。この間、父親は心労がもとで持病が悪化し、思いを残したまま逝去したことで、当時の事情を聴くことが出来なくなり、大量に残された資料を整理しながら事の流れを把握するのに、多くの時間を費やする事となる。
資金を横領しながらも平然と従来の暮らしをしながら、資産を妻名義にしたり隠したりする人物なので、秘密裏に差し押さえする必要が生じましたが、差し押さえにも保証金が必要で、資金調達も出来ない中、損害保険会社に保証して貰うことが出来ないかと考え、該当する保険があることを発見し、グループ企業向けの保証保険を、保険会社の本社と交渉を重ね取得に成功。
この保証保険を裁判所に提出して保証金の代わりとし、差し押さえを完了。

④債権回収のための訴訟
証拠の不十分なため、相談に行く弁護士事務所で勝訴は難しいとの見解の中、たどり着いた弁護士事務所で可能性は低いとの話にも関わらず、お受けいただくことが出来ました。
裁判では証拠の数と質が必要となるため、過去の資料を全て調べて整合性を見極めながら裁判所へ提出し、3年の歳月をかけて勝訴することが出来、振り返ってみると足掛け10年を超える作業となっていました。
 

保険代理店の法人成立

1997年保険業法の改正共に、法人成りし生命保険乗り合い代理店となる。
当時、国内の大手生命保険会社の保険のセールスレディ―が、自社商品を案内するのが営業の主流となっており、いろんな会社の商品を比べながらピックアップすることが出来なかったので、法改正と共に当社としてピックアップできる仕組みを作り売り上げを伸ばす。
また、2005年に証券業法も改正があり、証券仲介業を併営し資産運用業務も合わせたサービス体制を構築する。
 

M&A業務の契機

主に法人関係の保険を取り扱いしていた関係で経営相談などを受けることが多く、2010年頃より主に廃業に関する相談を多数いただき、廃業ではなく事業譲渡により事業を生かし、従業員の雇用継続を実現に導くことに成功。
この実績より2013年に正式にM&A仲介業を開始する。
この間、不動産再生事業、高齢者スクーリング事業を開始し成長させたのち、スクーリング事業について事業引継ぎ希望者に譲渡成功させる。
 

保険業務の譲渡

M&A仲介業務に専念するため23歳より続けてきた保険業務を譲渡する事とし、お客様サービス維持のため、譲受先で担当者として在籍しながら、ユニバーサルホールディングスの代表者としてM&A
仲介業務、経営コンサルティング業務を行う。
不動産については10棟の不動産を再生させることに成功。
 

現在

M&A仲介業務をメインとしながら、不動産M&Aや事業再生、不動産再生の指導などを行い、一般社団法人経営戦略共創会議の顧問として後進の指導も行っている。

会社概要

会社名 株式会社ユニバーサルホールディングス
会社名(英文) Universal Holdings Co., Ltd.
代表者 代表取締役 北野明信
資本金 1,000万円
所在地 〒599-8236
大阪府堺市中区深井沢町3324番地 FUKAIビル4階
設立年月 1997年3月7日
電話番号 072-247-7180
FAX番号 072-247-7188
メールアドレス お問い合わせページ
事業内容
  • M&Aコンサルティング
  • 不動産M&A
  • 不動産仲介業務
  • 家族サポート
  • 第二創業支援
  • 個別相談サービス
宅建免許番号 大阪府知事(1)第64975号
ホームページ https://www.aru-aru43.com/

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